「死が終着点ではない」 05.09.18
コリント一 15:35〜58
永眠者記念礼拝です。
この日は、死について考えざるを得ません。
人が死ぬことは誰もが知っています。
しかし、死んでからのことを知っている人間はいません。
そんな人間に聖書は、「復活の命があるのだから死は
終着点ではない」と、はっきりと語りかけてきます。
聖書は、この世での生き方よりも、復活の命に至る道の
ことを教えてくれるものです。死が終着点でなく復活がある
ことは、イエスさまが十字架にかかった後に復活された
ことで、はっきりしたことです。
復活の命を知らず、死の不安をぬぐえない時に、「どうせ
死んでしまうのだから…」(32節)という生き方になるのでしょう。
「どうせ…」という心は、人を愛することも、自分自身を愛する
こともできません。
復活を知るときに、主の業に励み続け(58節)、誠実で
健やかな歩みが生まれます。
聖書は復活の体を種にたとえます。蒔かれた一粒の種が、
土の中で死んだようになった後に、芽を出し、木となり、
まったく違うものになる。種が、それまでの種からは想像も
できないような大きな変化をする。復活の体もそのように、
予想もできない変化をしていくというのです。その予想を
超える復活の体のことを、人間の知恵や経験で予想し、
分かろうとすることを、愚かなこと(36節)とさえいいます。
神さまを信じる信仰によって、聖書の語りかけを聞き、
受け止めるとき、死後の希望が確かになります。
現在の自分の体と、復活したときの自分の体の最大の
違いは、罪の問題です。復活した体が、今と同じような
罪ある人間のままであったとしたら、救いではありません。
辛いことでしょう。
しかし復活は、自分の罪、弱さの一切を取り除かれた
者とされての復活です。だからこそ、復活の体を楽しみに
できるのです。
やがて時が来たら、一切の罪を除かれた者として
神さまの前で復活し、顔と顔をあわせることになる。
これを信じていいのです。 神さまは、私たちに実に
大きな楽しみを与えてくださっています。